Daily Scripture Reading

聖書(新改訳)を読んでます

みことばを思い起こす恵み

 

また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2:16)

 


過越の祭りは、巡礼に来る人たちにささげ物を売る商人たちにとっては、かき入れどきでもありました。

 


ところがイエス様は、その人たちを追い出してしまいました。神の家であるはずの場所が、商売の家になっていたからです。

 


弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。(ヨハネ2:17)

 


弟子たちは、イエス様のなさったことを、詩篇のみことばを通して知りました。

 


それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。(詩篇69:9)

 


この詩篇は、「苦難の詩篇」と呼ばれていて、神を深く愛することが、みことばの意味を悟らない人々のそしりに結びつくことを意味しているそうです。

 


しかし幸いなことに、弟子たちはイエス様のなさっていることの意味を思い起こす恵みにあずかりました。

 


しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。(マタイ13:16)

 


イエス様の弟子とされた人たちは、みことばの本当の意味を理解できるようにして頂けます。

 


世が暗く、混迷してくると、あらゆるところに混乱した言葉が満ちあふれてくることでしょう。

 


主のみこころと離れた目的で、聖書のみ言葉が用いられるようになるかもしれません。

 


しかし、そのようなときに、神のみことばを正しく悟らせて頂いて、世に流されない主の弟子とされた人たちは、本当に幸いです。

 


世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。(ヨハネの手紙第一 2:15)

 

 

 

世に満ちる言葉とは違った、イエス様の視点が求められています。道徳的な視点だけでは一致しない、神のみことばの世界に生きるものの視点です。

 


そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。(ルカ24:45-46)

 


私たちと共に歩んでくださる主が、私たちの心を開いて、聖書を悟らせてくださいますように。

 


イエス様の後を歩む私たちが、混乱の嵐の中を、神のみことばを悟る恵みによって、日々乗り越えてゆけますように。

 


尊きイエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

 


amen (^^)

 

 

 

 

f:id:cornelius1732:20161109194534j:image

 

 

 

 

 

来て、そして、見なさい

 

ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」(ヨハネ1:46)

 


イエス様が救い主だと信じられないナタナエル。

 


ピリポは彼に「来て、見てごらん。そうしたら分かるから」と言いました。

 


イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」(ヨハネ1:50)

 


ナタナエルは、イエス様を見て、信じました。

 


それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。(ヨハネ2:1)

 

 

ここでイエス様は、水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。

 


イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2:11)

 

 

弟子たちは、イエス様が救い主キリストだと信じました。

 


しかし、一番、心の深いところで信じられたのは、ナタナエルだったのではないかなと思いました。なぜかというと…。

 


ガリラヤのカナのナタナエル (ヨハネ21:2)

 

 

カナは、彼の故郷です。婚礼には、きっとナタナエルの友だちや知り合いがたくさんいて、イエス様のぶどう酒を飲んだことでしょう。

 


それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

 


ご自身を救い主だと信じること。それをイエス様はどの弟子にも強く願っておられます。それは、むかしもいまもこれから先も同じ。

 


そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ10:17)

 

 

私たちが、福音を見たり聞いたりしたときに、カナでナタナエルに信じる心を与えてくださった方が、今このときも、イエス様が私たちの救い主キリストだと信じる心を与えてくださいますように。

 


そして、永遠のいのちに満たされて、輝きながら毎日を過ごす私たちでありますように。

 


私たちの主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

 


amen (^^)

 

f:id:cornelius1732:20160720203409j:image

 

 

永遠のいのち

 

その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。(ヨハネ5:14)

 


ベテスダの池でいやされた人に、イエス様が大切なことを、お伝えになりました。

 

 

「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5:14)

 


もっと悪いこと…

 


罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)

 


この「死」は、だれもが経験する死というよりは、「第二の死」と呼ばれている永遠の死。(黙示録20:14)

 


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)

 


イエス様に癒していただいて健康になった彼は、このあと、いろいろなものを手にしたことでしょう。

 


しかし、死からいのちに移っていませんでした。

 


その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。(ヨハネ5:15)

 


とうとう、このときは永遠のいのちに関心が向きませんでした。

 


目の前にイエス様がおられ、やまいが癒されるという体験をしたのですが、そこで止まってしまった…

 


人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)

 


まことのいのちを手にして、主にあって本当に豊かな歩みをするために、主は私たちの心の足を癒してくださいます。

 


そのいやされた足でイエス様のもとにゆき、イエス様のことばを聞いて、まことのいのちを得る方々が、毎日起こされますように。

 


私たちの心が開かれて、イエス様を受け入れて、イエス様のいのちの内にとどまりますように。

 


私たちの愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen (^^)

 

f:id:cornelius1732:20160707000559j:image

犯人探し

 

そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」(ヨハネ5:10)

 


あなたは病気が治ったけれど、そのままそこで寝ていなさい。

 


しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」(ヨハネ5:11)

 


やっと病気がいやされて、私はなおしてくださった方のことばに従っていただけですよ。

 


また、安息日に荷物を家から出すな。何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。(エレミヤ17:22)

 


聖書には、こうした決まりがありました。それで、安息日に床を取り上げて歩くことは仕事にあたると彼らは主張していました。

 


彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』と言った人はだれだ。」(ヨハネ5:12)

 


それで、犯人探し。

 


責めている人が、完全に正しい人に見えてくるから不思議です。

 

だけど…

 

もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。(ヤコブ2:8)

 


犯人探しは、愛から出ているの?

 


律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコブ2:10)

 


完全に律法を守れる人は、キリスト以外、だれもいません。

 


このあとも、安息日に良いことをされていたイエス様は、こうした人たちから迫害を受け続け、ついには殺されてしまいます。

 


これは、ねたみから出ていたことでした(マタイ27:18)

 


この「ねたみ」は、神の愛から出たものではありません。(ガラテヤ5:19-21)

 


愛する心で生きようとしていると、いろいろなことが起きる時があります。

 


しかし、そうした中でも、イエス様のあとに従って歩んでゆけますように。

 

主なる神様

あなたの愛について、教えてください。
そして、あなたの愛を注いでください。

 

 

主にあって愛の道を歩めるように、主の御霊によって助けてください。

 


愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen(^^)

 

f:id:cornelius1732:20160707000258j:image

 

イエスは彼に言われた

 

そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。(ヨハネ5:5)

 


ベテスダの池に長い間、横たわっていた人がいました。

 


イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」(ヨハネ5:6)

 


よくなりたいのですが、ただ…。

 


病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」(ヨハネ5:7)

 


池は間欠泉で、水が出てきたときに入るとなおるかもしれないと、苦しむ人たちは思っていたようです。

 


だけど38年ものあいだ、彼は行こうとしました。だけど、だめだったんです。

 


イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」(ヨハネ5:8)

 


イエス様が、「よくなりたいか」とたずねたのは、このことばを言うためでした。

 


よくなりたいですと答える気持ちも消えて、悲しみとあきらめの心が入り混ざった人に必要だったのは…。

 


神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。(創世記1:1)

 


おっしゃると、その通りになる 神のことば。

 


すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。(ヨハネ5:9)

 


イエス様は、主なる神様なので、おっしゃる通りになりました。

 


今日、聖書のみことばを通して、主なる神様は、私たちに 何を語りかけてくださるでしょう。

 


祈りの中で、主に相談をし、聖書のみことばを通して答えを頂く一日になりますように。

 


愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen (^^)

 

f:id:cornelius1732:20160707000108j:image

ベテスダの池

 

その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。(ヨハネ5:1)

 


エルサレムに行かれたイエス様が向かわれたのは…

 


さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。(ヨハネ5:2)

 


この「ベテスダ」の池。

 


その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。(ヨハネ5:3)

 


この池の周りには、病気で苦しむ人たちが、大ぜい集まっていました。

 


わたしの上に主の御霊がおられる。

主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。

主はわたしを遣わされた。

捕らわれ人には赦免を、

盲人には目の開かれることを告げるために。

しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。

(ルカ4:18-19)


病気に捕らわれている人のもとに向かわれたのは、自由にするためでした。

 


私たちは、その歩みの中で何かに捕らわれて、不自由になっているときがあります。

 


そうしたところにイエス様は来て、自由にしてくださる。

 


福音が、心の中のベテスダで横たわる私たちのもとに届くようにと

 


イエス様は天から遣わされた方です。

 


このイエス様のくださる自由を得て、主の愛の内を歩む 私たちでありますように。

 


私たちの愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen(^^)

 

f:id:cornelius1732:20160706235923j:image

 

 

みことばの通りに

 

その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」(ヨハネ4:49)

 


必死にイエス様にお願いするお父さん

 


イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。(ヨハネ4:50)

 


イエス様、いいえ あなたが直接来て直してください。

 


だけど、このお父さんは、イエス様のことばの通りになると信じて、イエス様がおっしゃる通り、帰ってゆきました。

 


それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。(ヨハネ4:53)

 


息子の病気が直るだけではなく、このことがご家族の救いに結びついてゆきました。

 


私はひどく悩んでいます。主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。(詩篇119:107)

 


生活の中で悩みの嵐がやって来るときに、聖書の約束が私たちの心に臨みますように。

 


神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(ローマ4:21)

 


主の助けを頂いて、与えられた約束を果たしてくださる主に信頼をよせる私たちでありますように。

 


尊き主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。

 


amen(^^)

 

f:id:cornelius1732:20160706235643j:image