Daily Scripture Reading

聖書(新改訳)を読んでます

燃える蛇

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。(ヨハネ3:14)

 


モーセイスラエルの民が荒野を旅していたときに、ある出来事が起こりました。

 


民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」(民数記21:5)

 


神の民たちは罪から離れることができず、このときも不平不満を口にして、騒ぎはじめました。

 


そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。(民数記21:6)

 


あわてて民は罪を告白して、助けを求めたのですが、そのときに神は不思議なことをおっしゃったのです。

 


すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」(民数記21:8)

 


モーセが造った青銅の蛇を見た人たちは、神のおっしゃるとおり、死なずにすみました。

 


罪は悪しき者を倒す。(箴言13:6)

 


罪の行き着く先には死(ローマ6:21)があって、だれも生きることができません。毒が回って死んでしまいます。

 


しかし、十字架についてくださったイエス様を見上げて受け入れるとき、そこに生きる道が開かれてゆくのです。

 


主はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。 (‭詩篇‬ ‭34‬:‭22‬)

 


エス様を信じる人たちは、イエス様にあって永遠のいのちを持つので、イエス様と一緒に生きる。(ヨハネ3:15)

 


私たちの生活の中には罪があり、ときどき燃える蛇のようにかみつきます。しかし、そのときに罪を告白して、十字架についてくださったイエス様を仰ぎ見るなら、そこに生きる道が開かれる恵みがあります。(第一ヨハネ1:9)

 


私たちの旅が、いのちの主であるイエス様を信じ続けて、いのちの道を歩む旅になりますように。

 


エス様を仰ぎ見て、いのちに満ちあふれる 毎日になりますように。

 


イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

 


amen (^^)

 

 

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新しく生まれる

 

エスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)

 


神の律法をよく知り、民にみことばを教える立場にあったニコデモ。神の国に近いはずの人でしたが、その彼も新しく生まれなければ神の国を見られません。

 


ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。(ヨハネ3:4)

 


新しく生まれるとは、なんですか?

 


エスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。(ヨハネ3:5)

 


水と御霊によって生まれないといけない。

 


私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ3:4)

 


バプテスマ(洗礼)を受けたとき、生まれながらの私は十字架で亡くなったイエス様と一緒に死にました。

 


そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒2:38)

 


そして、神の御霊を頂いて、新しい人として生まれました。

 


エスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。(ヨハネ3:5)

 


こうしてキリスト・イエスとともに死と復活の道を歩んで、私たちは神の国に入る人になりました。

 


神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(第一ペテロ1:3)

 

 

生ける望みとは、滅びからまぬがれて、やがて主がおられる天の御国に入れるということ。

 


イエス・キリストを受け入れて、その死と復活にあずかり、新しく御霊によって生まれた人たちは、生ける望みによって輝く人たちです。

 


福音を受け入れて、イエス様をキリストと信じる人たちが、日々与えられますように。

 


すでに信じた人たちが、福音に留まって、御霊による天の望みに満ちあふれて、日々歩み続けますように。

 


私たちの救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

 


amen (^^)

 

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みことばを思い起こす恵み

 

また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2:16)

 


過越の祭りは、巡礼に来る人たちにささげ物を売る商人たちにとっては、かき入れどきでもありました。

 


ところがイエス様は、その人たちを追い出してしまいました。神の家であるはずの場所が、商売の家になっていたからです。

 


弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。(ヨハネ2:17)

 


弟子たちは、イエス様のなさったことを、詩篇のみことばを通して知りました。

 


それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。(詩篇69:9)

 


この詩篇は、「苦難の詩篇」と呼ばれていて、神を深く愛することが、みことばの意味を悟らない人々のそしりに結びつくことを意味しているそうです。

 


しかし幸いなことに、弟子たちはイエス様のなさっていることの意味を思い起こす恵みにあずかりました。

 


しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。(マタイ13:16)

 


イエス様の弟子とされた人たちは、みことばの本当の意味を理解できるようにして頂けます。

 


世が暗く、混迷してくると、あらゆるところに混乱した言葉が満ちあふれてくることでしょう。

 


主のみこころと離れた目的で、聖書のみ言葉が用いられるようになるかもしれません。

 


しかし、そのようなときに、神のみことばを正しく悟らせて頂いて、世に流されない主の弟子とされた人たちは、本当に幸いです。

 


世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。(ヨハネの手紙第一 2:15)

 

 

 

世に満ちる言葉とは違った、イエス様の視点が求められています。道徳的な視点だけでは一致しない、神のみことばの世界に生きるものの視点です。

 


そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。(ルカ24:45-46)

 


私たちと共に歩んでくださる主が、私たちの心を開いて、聖書を悟らせてくださいますように。

 


イエス様の後を歩む私たちが、混乱の嵐の中を、神のみことばを悟る恵みによって、日々乗り越えてゆけますように。

 


尊きイエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

 


amen (^^)

 

 

 

 

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来て、そして、見なさい

 

ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」(ヨハネ1:46)

 


イエス様が救い主だと信じられないナタナエル。

 


ピリポは彼に「来て、見てごらん。そうしたら分かるから」と言いました。

 


イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」(ヨハネ1:50)

 


ナタナエルは、イエス様を見て、信じました。

 


それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。(ヨハネ2:1)

 

 

ここでイエス様は、水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。

 


イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネ2:11)

 

 

弟子たちは、イエス様が救い主キリストだと信じました。

 


しかし、一番、心の深いところで信じられたのは、ナタナエルだったのではないかなと思いました。なぜかというと…。

 


ガリラヤのカナのナタナエル (ヨハネ21:2)

 

 

カナは、彼の故郷です。婚礼には、きっとナタナエルの友だちや知り合いがたくさんいて、イエス様のぶどう酒を飲んだことでしょう。

 


それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

 


ご自身を救い主だと信じること。それをイエス様はどの弟子にも強く願っておられます。それは、むかしもいまもこれから先も同じ。

 


そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ10:17)

 

 

私たちが、福音を見たり聞いたりしたときに、カナでナタナエルに信じる心を与えてくださった方が、今このときも、イエス様が私たちの救い主キリストだと信じる心を与えてくださいますように。

 


そして、永遠のいのちに満たされて、輝きながら毎日を過ごす私たちでありますように。

 


私たちの主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

 


amen (^^)

 

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永遠のいのち

 

その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。(ヨハネ5:14)

 


ベテスダの池でいやされた人に、イエス様が大切なことを、お伝えになりました。

 

 

「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」(ヨハネ5:14)

 


もっと悪いこと…

 


罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)

 


この「死」は、だれもが経験する死というよりは、「第二の死」と呼ばれている永遠の死。(黙示録20:14)

 


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)

 


イエス様に癒していただいて健康になった彼は、このあと、いろいろなものを手にしたことでしょう。

 


しかし、死からいのちに移っていませんでした。

 


その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。(ヨハネ5:15)

 


とうとう、このときは永遠のいのちに関心が向きませんでした。

 


目の前にイエス様がおられ、やまいが癒されるという体験をしたのですが、そこで止まってしまった…

 


人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)

 


まことのいのちを手にして、主にあって本当に豊かな歩みをするために、主は私たちの心の足を癒してくださいます。

 


そのいやされた足でイエス様のもとにゆき、イエス様のことばを聞いて、まことのいのちを得る方々が、毎日起こされますように。

 


私たちの心が開かれて、イエス様を受け入れて、イエス様のいのちの内にとどまりますように。

 


私たちの愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen (^^)

 

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犯人探し

 

そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」(ヨハネ5:10)

 


あなたは病気が治ったけれど、そのままそこで寝ていなさい。

 


しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」(ヨハネ5:11)

 


やっと病気がいやされて、私はなおしてくださった方のことばに従っていただけですよ。

 


また、安息日に荷物を家から出すな。何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。(エレミヤ17:22)

 


聖書には、こうした決まりがありました。それで、安息日に床を取り上げて歩くことは仕事にあたると彼らは主張していました。

 


彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』と言った人はだれだ。」(ヨハネ5:12)

 


それで、犯人探し。

 


責めている人が、完全に正しい人に見えてくるから不思議です。

 

だけど…

 

もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。(ヤコブ2:8)

 


犯人探しは、愛から出ているの?

 


律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコブ2:10)

 


完全に律法を守れる人は、キリスト以外、だれもいません。

 


このあとも、安息日に良いことをされていたイエス様は、こうした人たちから迫害を受け続け、ついには殺されてしまいます。

 


これは、ねたみから出ていたことでした(マタイ27:18)

 


この「ねたみ」は、神の愛から出たものではありません。(ガラテヤ5:19-21)

 


愛する心で生きようとしていると、いろいろなことが起きる時があります。

 


しかし、そうした中でも、イエス様のあとに従って歩んでゆけますように。

 

主なる神様

あなたの愛について、教えてください。
そして、あなたの愛を注いでください。

 

 

主にあって愛の道を歩めるように、主の御霊によって助けてください。

 


愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen(^^)

 

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イエスは彼に言われた

 

そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。(ヨハネ5:5)

 


ベテスダの池に長い間、横たわっていた人がいました。

 


イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」(ヨハネ5:6)

 


よくなりたいのですが、ただ…。

 


病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」(ヨハネ5:7)

 


池は間欠泉で、水が出てきたときに入るとなおるかもしれないと、苦しむ人たちは思っていたようです。

 


だけど38年ものあいだ、彼は行こうとしました。だけど、だめだったんです。

 


イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」(ヨハネ5:8)

 


イエス様が、「よくなりたいか」とたずねたのは、このことばを言うためでした。

 


よくなりたいですと答える気持ちも消えて、悲しみとあきらめの心が入り混ざった人に必要だったのは…。

 


神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。(創世記1:1)

 


おっしゃると、その通りになる 神のことば。

 


すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。(ヨハネ5:9)

 


イエス様は、主なる神様なので、おっしゃる通りになりました。

 


今日、聖書のみことばを通して、主なる神様は、私たちに 何を語りかけてくださるでしょう。

 


祈りの中で、主に相談をし、聖書のみことばを通して答えを頂く一日になりますように。

 


愛する主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。

 


amen (^^)

 

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