カペナウム
この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。(ヨハネ4:47)
カペナウムにいた王室の役人が、イエス様のもとにやって来ました。
このカペナウムという街で、イエス様はしばらく福音の働きをされるのですが…
カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。(ルカ10:15)
カペナウムは、イエス様が嘆き、責めた街でした。
なぜでしょう…。
そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」(ヨハネ4:48)
しるしと不思議によって、問題の解決を願いはするものの…
罪を悔い改めて、永遠のいのちに入ることには、あまり関心がなかったからです。
『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。』(マタイ13:14)
イエス様を見て、みことばを聞き、奇跡を見ているのに、イエス様をキリストとして受け入れないカペナウムの人たち。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)
問題の解決は大切です。
しかし、イエス様がキリストであることを受け入れて、永遠のいのちに至る実とされることの方がもっと大切。
私たちの信仰が、奇跡や不思議の先にある天の御国に通じる信仰へと成長してゆきますように。
問題の解決に集中するあまり、主への関心がかたよってしまいませんように。
助け主なる御霊の助けが、私たちにありますように。
尊きイエス・キリストのお名前によって祈ります。
amen (^^)
故郷
さて、二日の後、イエスはここを去って、ガリラヤへ行かれた。イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言しておられたからである。(ヨハネ4:43-44)
イエス様は預言者なのですか?
あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。(申命記18:15)
イエス様は、神の民を導くモーセのような方。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。(ヨハネ1:11)
それで、エルサレムから一時離れられたのです。
しかし、弟子たちやサマリヤの女の人とその街の人たちのように、イエス様を受け入れた人たちもいました。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)
神の子どもの故郷は、どこですか?
けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3:20)
私たちの故郷は、天の父なる神さまがおられるところ。そして、天に帰ってゆかれたイエス様が、迎えに来てくださるのを待ち望んでいます。
主よ。来たりませ。
主を待ち望む信仰が、私たちのうちにしっかりと保たれてゆきますように。
イエス様を受け入れて、神の子どもとされる人たちが、毎日 起こされてゆきますように。
イエス・キリストのお名前によって祈ります。
amen (^^)
どこの畑ですか?
あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。(ヨハネ4:35)
主よ、目の前に広がる畑は、まだ収穫の時期ではありませんよ?
さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。(ヨハネ4:35)
どこの畑ですか?
イエス様が、サマリヤの井戸のかたわらで女の人に蒔いた福音の種のその後を見ると…。
さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。(ヨハネ4:39)
サマリヤの町の人たちに広がって、またたく間に実っていました。
すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。(ヨハネ4:36)
人の心に蒔かれた福音の種は、永遠のいのちに至る実となって、弟子たちの前に現れようとしていました。(ヨハネ4:30)
イエス様にとっても、弟子たちにとっても喜ばしい収穫の時。
私たちが福音を受け入れたとき、種を蒔いてくださった方がいます。
そして、御霊によって新しく生まれた時に、それを導いてくださった方がいます。
蒔いた人も収穫した人も、そして新しく生まれた人も、イエス様と一緒に喜びの輪の中にいました。
本当に感謝ですね。
この喜びを握って、みんなで歩んでゆきましょう。
福音の種蒔きと収穫が、毎日なされてゆきますように。
主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
amen (^^)
イエス様の食物
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。(ヨハネ4:34)
父なる神様のみことば通りに生きることが、イエス様に生きる力を与えているということでしょうか。
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4)
パンも必要です。そして神のことばも。
イエス様の食物が、父なる神様の御心を行なうことなら、イエス様を信じる私たちの食物も、神様のみことばに沿って生きることですね。
それには、まず聖書を開かないと…
助け主なる主よ。どうぞ、聖書のみことばを読めるように助けてください。
そして、神のみことばを悟り、それに沿って生きられるように助けてください。
主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。
amen (^^)
ふたつの奇跡
イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネ4:26)
イエス様は、救い主キリストです。
女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。(ヨハネ4:28)
水はくまなくてもよいのですか?
「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」(ヨハネ4:29)
主にある奇蹟は、世の中の関心から福音へと人々の心を向けさせ、イエス様を受け入れる恵みに導きます。
『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』(マタイ7:22)
この奇蹟は?
『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:23)
これは「不法」な奇蹟。
心がイエス様とつながっておらず、別なものにつながっている。
そして、つながっているもののところに、人々を導いてゆきます。
キリスト・イエスにしっかりと結びついて、みことばを信じる信仰にとどまりますように。
そして、イエス様の栄光をあらわす私たちでありますように。
私たちの主、イエス・キリストのお名前によって、祈ります。
amen (^^)
真の神殿
私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(ヨハネ4:20)
サマリヤの人たちは、「この山」(ゲリジム山)で礼拝を捧げ、ユダヤの人たちは、エルサレムで礼拝をお捧げしていました。
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」(ヨハネ4:20)
ゲリジム山もエルサレムの神殿も、幾度となく破壊されて、しばしば礼拝ができなくなっていました。
イエス様は、今までとは違う神殿で礼拝をお捧げする時が来ていますと、サマリヤの女の人に言いました。
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネ4:23)
霊とは聖霊さまのこと。
イエス様を救い主キリストと信じると、聖霊さまが来てくださって、その人は神の子とされます。
神の子にとって主なる神様は、父なる神様。
それで、「父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」と、イエス様はおっしゃっています。
いまはイエス様を信じて神の子とされた人たちが、御霊によって、父なる神様を礼拝する時になりました。
そして、イエス様と神の子とされた人たちが、神の神殿そのものです。
この神殿は壊すことができません。
イエス様としっかりと結びついているからです。
イエス様を信じた私たちが、真の礼拝者として、御霊の助けと導きを頂いて、日々 礼拝をお捧げするものでありますように。
イエス様を受け入れて、まことの神殿とされる人たちが、毎日 起こされますように。
私たちの主、イエス・キリストの御名によって、祈ります。
amen (^^)
先生、あなたは…
あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。(ヨハネ4:18)
今、あったばかりなのに、わたしのことを知っている。ということは…。
女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。(ヨハネ4:19)
惜しい!
「人々はわたしをだれだと言っていますか。」(マルコ8:27)
ピリポ・カイザリアというところで、イエス様が弟子たちに聞いたところ…。
「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」(マルコ8:28)
イエス様を直接見て、お話を聞いて、奇跡を体験していた人たちでも、なかなかイエス様のことが分かりませんでした。
「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(マルコ8:29)
このとき、ペテロは「あなたはキリストです」と答えました。
イエス様は、最初から分からなくても、ご自分の弟子たちにキリストだと分かるようにしてくださいました。
そして、サマリヤの井戸で出会った女の人にも、ご自身をキリストとしてあらわそうとされています。
イエス様を救い主キリストとして受け入れるまで、人種の壁、宗教の壁の前で足踏みしている彼女でした。
それでもイエス様とお話をしながら、「あなたはキリストです。」というところに導かれていました。
主は、いまも聖書を読んだり、祈ったり、聖書の話しを聞いたりしている間に、「あなたはキリストです。それもわたしのキリストです。」というところに導いてくださいます。
私たちの歩みは、「あなたは私のキリストです。」と告白する歩み。
いろいろな問題の壁の前で足踏みをしている私たちを、主が導いてくださいます。
キリスト・イエスに導かれ、体験して、確信をさらに深く、強固にすることができますように。
主イエスを受け入れる方々が、日々与えられますように。
尊き主イエス・キリストのお名前によって、祈ります。
amen (^^)